新井豊五郎の墓

大工の島田紋次郎と桶職人の新井豊五郎が中心となって話し合いを行い、慶応2年(1866年)6月13日に「武州世直し一揆」が正覚寺の檀信徒を中心に勃発。
6月19日に鎮圧されるまでに一揆参加者10数万人。捕縛者390名。打ち壊し対象の村202。戸数520軒と大規模な一揆となった。
新井豊五郎は一揆終結後に捕えられ遠島となるが処分となる前の慶応2年(1866年)11月11日に牢死する。

住所 埼玉県飯能市上名栗1187−3
地図
新井豊五郎 新井豊五郎