足羽山招魂社
足羽山招魂社・・・元治元年(1864年)7月19日 京都での禁門の変戦死者7名及び、戊辰戦争戦死者12名を慰める為に明治3年9月に墓碑を建てて招魂場と呼び福井藩軍務寮が管理してきた。
明治6年7月松平春嶽と茂昭両公が御社殿を造営し、明治6年9月12日に19柱を合祀して招魂社と称する事となる。
西南の役、日清日露戦争、大東亜戦争の霊。8092柱を合祀し昭和36年12月に現在の足羽山招魂社に改められた。
西南の役殉難碑・・・西南の役に従軍した越前若狭150名の供養碑。明治16年11月に建立。
岡島佐三郎碑・・・西南の役に従軍し明治10年4月1日に戦死した岡島佐三郎の供養碑。
死事十二人碑・・・戊辰戦争で戦死した福井藩士12名の忠魂碑。明治3年閏10月に建立。藩儒 矢島立軒の撰。
住所 福井県福井市山奥町60−1
|
足羽山招魂社 |
足羽山招魂社 案内 |
|
|
|
西南の役殉難碑 |
岡島佐三郎碑 |
|
|
死事十二人碑 |
|
|
|
足羽山案内図 |
足羽山案内図 |
|
|