円光寺
分部光貞・・・大溝藩11代藩主。安中藩主 板倉勝尚の次男として生まれ文政13年(1830年)9月15日に大溝藩10代藩主 分部光寧の養子となる。
天保2年(1831年)1月15日に分部光寧の隠居により11代藩主に就任。文久3年(1863年)8月18日の政変に出陣し功をあげる。明治2年の廃藩置県で藩知事に就任。
文化13年(1816年)誕生。明治3年4月12日死去。
分部光謙・・・大溝藩12代藩主。明治2年4月25日に11代藩主 分部光貞の死去により12代藩主に就任するが、4日後の4月29日に大溝藩知事に就任。
明治4年6月23日、大溝藩の廃藩願いが受理され藩知事免職となる。廃藩後は東京に移住し学習院へ入学。明治10年代では日本最大の馬主となっていた。
解釈によっては最後の藩主といわれる。
文久2年(1862年)11月3日誕生。昭和19年11月29日死去。
住所 滋賀県高島市勝野2071
|
分部光貞 |
分部光謙 |
|
|
|
分部家墓所 |
分部家墓所 |
|
|
分部家墓所 |
円光寺 |
|
|
分部家墓所 案内 |
分部家墓所 案内 |
|
|
円光寺 案内 |
|
|
|