渋沢平九郎自決の地

振武軍と官軍による飯能戦争の後に落ちのびた渋沢平九郎が自決した地。

渋沢平九郎・・・彰義隊士。振武軍隊士。
武蔵国榛沢郡下手計村名主 尾高勝五郎の五男。慶応3年(1867年)姉の夫である渋沢栄一が渡欧する事に伴い渋沢栄一の見立養子となる。
慶応4年(1868年)彰義隊に加盟し、後に分裂し振武軍の中軍組頭となり新政府軍と飯能戦争を戦う。
新政府軍に敗れ入間郡黒山村を敗走中に芸州藩士と遭遇し戦うも自刃する。
弘化4年(1847年)11月7日誕生。慶応4年(1868年)5月23日死去。

住所 埼玉県入間郡越生町黒山744 周辺
地図
渋沢平九郎自刃の地碑 自刃岩
渋沢平九郎自刃の地