広沢家墓所
広沢安任の一族と従者であった佐久家の墓所。
広沢安任・・・会津藩士。 通称は富次郎。会津日新館で学び、後に江戸に出て昌平黌で学ぶ。文久年間から松平容保に従い京都に上り公用方として公武の間を周旋する。
戊辰戦争の際には会津藩の立場を西軍に進言する為に東京に残ったが西軍に捕えられ投獄される。明治2年に釈放され斗南藩少参事を務め、
八戸県大参事 太田広城と連携し弘前県・黒石県・斗南県・七戸県・八戸県の5県合併を政府に進言し弘前県の設立を実現させる。
明治5年、谷地頭に牧場「開牧社」を設立し畜産業に貢献する。幾度も政府から官職への就任依頼が来たが「野にあって国家に尽くす」として固辞。
文政13年(1830年)2月2日生誕。明治24年2月5日インフルエンザで病死。
広沢理佐子・・・明治13年に広沢安任に嫁ぐ。嫁いだ時点では20歳前後。三戸在住旧会津藩士の妹。
広沢新二
広沢誠子
広沢哲子
広沢千代子
広沢嘉比子
広沢佐波子
広沢春彦
佐久初男
佐久みどり
佐久乙吉
佐久起・・・佐久起四郎?明治11年に開牧社支配人を務める。
佐久廣子・・・佐久起四郎の妻。広沢安任の姪。
佐久淳子
住所 青森県三沢市三沢早稲田422−137 周辺
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広沢安任 |
広沢安任 裏側 |
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広沢理佐子 |
広沢理佐子 裏側 |
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広沢新二 |
広沢誠子 |
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広沢哲子 |
広沢千代子 |
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広沢嘉比子 |
広沢佐波子 |
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広沢春彦 |
佐久初男 |
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佐久みどり |
佐久乙吉 |
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佐久起 |
佐久廣子 |
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佐久淳子 |
広沢家墓所 |
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墓所入口 |
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