顔振峠

慶応4年(1868年)5月23日の飯能戦争から落ちのびた渋沢平九郎が立ち寄った地。
店主に秩父に向かった方が安全と聞くが、故郷に戻るためか黒山方面に逃れる事に決め、草履を求めて代わりに刀を預けた。

渋沢平九郎・・・彰義隊士。振武軍隊士。
武蔵国榛沢郡下手計村名主 尾高勝五郎の五男。慶応3年(1867年)姉の夫である渋沢栄一が渡欧する事に伴い渋沢栄一の見立養子となる。
慶応4年(1868年)彰義隊に加盟し、後に分裂し振武軍の中軍組頭となり新政府軍と飯能戦争を戦う。
新政府軍に敗れ入間郡黒山村を敗走中に芸州藩士と遭遇し戦うも自刃する。
弘化4年(1847年)11月7日誕生。慶応4年(1868年)5月23日死去。

住所 埼玉県飯能市大字長沢1562
地図
顔振峠 顔振峠 由来
顔振峠 案内 平九郎茶屋