都城六勇士殉難記命碑
伏見の警護にあたっていた薩摩藩都城隊の大峰兼武、横山貞明、坂元正備、野邊盛次、安藤利次、内藤利徳の6名が
慶応3年(1867年)12月21日に伏見奉行所から出てきた幕府側の10数名と遭遇。
6名は戦闘を避け薩摩藩本営に報告した。薩摩藩は大砲隊を派遣して事情を探り,都城隊を東寺に移動させた。
6名は部隊移動は戦闘を避けた事に対する処分だと解し12月26日に東寺執行 阿刀慶増の自宅で切腹。
6名の死を憐れんだ阿刀慶増によって狐塚墓地墓地に葬られ、阿刀慶増も跡を追って切腹した。
住所 京都府京都市南区唐橋井園町22−1(狐塚墓地)
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都城六勇士殉難記命碑 |
阿刀慶増 |
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内藤利徳 |
内藤利徳 左面 |
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大峰兼武 |
大峰兼武 左面 |
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安藤利次 |
安藤利次 左面 |
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野邉盛次 |
野邉盛次 左面 |
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坂元正備 |
坂元正備 左面 |
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横山貞明 |
横山貞明 左面 |
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都城六勇士殉難記命碑 |
狐塚墓地 |
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狐塚墓地 |
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