森玄黄斎の墓
森玄黄斎・・・彫刻家。
白久村の山中太七の次男として生まれ千嶋抽雲に学問を習い、墨渓に書画を習う。
10歳の時に将棋の駒を製作し、22歳の時に印籠に中国の名勝 玉泉山の図を彫り忍藩主に献上する。
天保2年(1831年)江戸城御用達の森伊左衛門に才能を認められ二女えつの婿として別家を立てる。
天保10年(1839年)印籠の図柄をまとめた「印籠譜」を出版する。
嘉永元年(1848年)伊勢神宮に参拝した後に伊勢に留まり神道を学ぶ。帰郷後に伊勢神宮を白久に勧請して神職となる。
文化4年(1807年)1月23日誕生。明治19年(1886年)1月4日死去。
住所 埼玉県秩父郡小鹿野町下小鹿野282−5