岡山霊園
膳所烈士7名の墓(膳所烈士・・・慶応元年(1865年)閏5月に将軍 徳川家茂上洛の際に膳所城に宿泊する予定であったが、幕府側から膳所藩内に徳川家茂の暗殺計画があるとの通報を受け
慶応元年閏5月14日に尊王攘夷派を一斉検挙し70名余を投獄。尊皇攘夷指導者以外は釈放となり11名を慶応元年10月21日に処刑した。)
増田仁右衛門 正房・・・膳所藩中小姓。句読師。元治元年(1864年)攘夷決行を藩主に建言。膳所藩の尊攘派弾圧によって慶応元年(1865年)10月21日に斬首される。
渡辺宗助 緝・・・膳所藩中小姓。膳所藩校遵義堂教授 高橋作也の門人。膳所藩の尊攘派弾圧によって慶応元年(1865年)10月21日に斬首される。
関元吉 俊樹・・・膳所藩馬廻役。膳所藩の尊攘派弾圧によって慶応元年(1865年)10月21日に斬首される。
高橋雄太郎 幸佑・・・膳所藩。膳所藩の尊攘派弾圧によって慶応元年(1865年)閏5月14日に捕えられ、慶応元年(1865年)10月21日に斬首される。
森喜右衛門 祐信・・・膳所藩物頭役。昌平黌で学び藩校遵義堂で教授となる。元治元年(1864年)長州人から一橋慶喜への願書を斡旋する。
膳所藩の尊攘派弾圧によって慶応元年(1865年)10月21日に斬首される。
高橋作也 正功・・・藩校遵義堂教授。江戸で篠崎小竹に学び藩校遵義堂の教授となる。膳所藩の尊攘派弾圧によって慶応元年(1865年)閏5月に捕えられ、慶応元年(1865年)10月21日に斬首される。
深栖幾太郎 当道・・・膳所藩中小姓。膳所藩の尊攘派弾圧によって慶応元年(1865年)閏5月14日に捕えられ、慶応元年(1865年)10月21日に斬首される。
黒田麹廬・・・藩校遵義堂教授。洋学者。膳所藩儒 黒田粱川の長男。天保14年(1843年)大阪の適塾に入門。のち藩校遵義堂で漢学、洋学を教授する。
文政10年(1827年)3月誕生。明治25年12月14日死去。
住所 滋賀県大津市湖城が丘1−16
|
膳所烈士3名の墓 |
増田仁右衛門 |
|
|
|
渡辺宗助 |
関元吉 |
|
|
膳所烈士4名の墓 |
高橋雄太郎 |
|
|
森喜右衛門 |
高橋作也 |
|
|
深栖幾太郎 |
|
|
|
黒田麹廬(行元) |
黒田麹廬(行元) 左面 |
|
|
黒田麹廬(行元) |
黒田麹廬(行元) 左面 |
|
|
黒田麹廬先生之碑 |
黒田麹廬 |
|
|