正洞院跡
平田篤胤・・・国学者。安永5年(1776)に久保田城下に生まれ、20歳の時に江戸に留学し学問を修める。
平田篤胤の国学が尊王攘夷思想と結びつき、多くの志士に影響し明治維新の原動力となる。天保14年(1843)9月11日病没。
野崎大内蔵・・・越後三島郡寺泊、聖徳寺の僧侶。明治元年、京に赴き奥羽鎮撫副総督沢為量に属して戦う。明治元年8月14日羽後角間川で銃弾に当たり戦死。
大和久治 清美・・・秋田藩斥候。明治元年8月8日(8月18日とも)羽後植田村で戦死。
長井文之助 政吉・・・秋田藩銃士。明治元年9月11日(9月8日とも)羽後糠塚森で戦死。(墓石には9月11日と刻まれている。)
福原藤四郎 資原・・・秋田藩銃士。明治元年9月8日羽後福部羅で戦死。
住所 秋田県秋田市手形大沢17 周辺
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平田篤胤 |
平田篤胤の妻 |
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平田篤胤碑 |
平田篤胤 |
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平田篤胤 案内 |
野崎大内蔵 |
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大和久治 |
大和久治 左面 |
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長井文之助 |
長井文之助 右面 |
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福原藤四郎 |
福原藤四郎 左面 |
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福原藤四郎 |
正洞院跡 |
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